第1番 青岸渡寺  👀小説『熊野詣』三島由紀夫が見た「那智の大滝」、かすかに拝する滝ほど不思議な魅力に駆られる。春、那智の大滝「神秘ウオーク」は未知体験ゾーンだ。毎年参加者を公募する。

👣巡礼は「歩く宗教」といわれ右足を鋤(すき)、左足を鍬(くわ)にたとえ、「心の田を耕す」修行。西国29番松尾寺心空師(7000キロ徒歩巡礼達成)は、「1番青岸渡寺から2番三井寺まで200キロの熊野古道を歩きなさい」という。せめて、それが叶わぬものなれば「大門坂」から熊野古道を歩く。 

熊野十二所権現 補陀洛山寺 👀熊野駅徒歩5分、陀洛山寺は、那智七本願の一寺(世界遺産)。観音浄土へ向かう「補陀落渡海」は、この熊野灘に最接近する黒潮が導く。観音の極楽浄土(ニライカナイ)は、遥か南方の彼方に「常世」理想郷と信じられてきた。だが、僅かな食量と閉ざされた船内の行末は・・・。『熊野年代記』に868年から江戸時代のかけて20人の渡海僧の名が連ねる。👣熊野港へ足を向けると美味しい魚介類が楽しめる。「漁師の温泉」も市場の近くにあり幾分しょっぱいのかしら。

第2番 金剛法寺(紀三井寺) 👀寺名の由来は「吉祥水」「清浄水」「楊柳水」と今でも霊泉は湧く。昭和60年(1985)「日本名水百選」に。古くから桜の名所として知られ 見上ぐれば桜しもうて紀三井寺  芭蕉 また気象庁の「桜の開花宣言」に指定された。👣結縁厄除坂(231段)またの名を「結縁坂」と多くの人から親しまれてきた石段は、紀ノ國屋文左衛門と妻かよとの良き縁。かよは「玉津島神社」の娘で、文左衛門を豪商へと登りつめる。「和歌の浦」は、万葉に詠われ、和歌の神を祀る。

第3番 粉河寺 生身観音の異名をもつ本尊は国宝「粉河寺縁起」に伝わる”さげさや”(お箸箱)は、無病息災・不老長寿の御利益が得られると。(写真)いまや巡礼に欠かせない「マイカップとマイお箸」は必需品だ。◎古刹粉河寺は、「納札発祥の地」として知られ、これより巡礼道が「札を納める」から「札を打つ」へと進化していく。

第4番 施福寺(槇尾寺) 弘法大師空海は延暦22年(803)留学僧として得度・受戒した。20歳の時である。愛染堂にはその御髪が納められているという。今から1200年前、弘法大師空海は延暦22年(803)留学僧として得度・受戒した。20歳の時である。お堂にはその時の御髪が納められているという。(写真)山岳寺院に相応しく厳しい山道を登坂する。昔花山院が登坂中道に迷い馬のいななきを聴いたという。西国霊場唯一の馬頭観世音を祀る。

第5番 葛井寺 平成16年(2004)中国西安で「葛井真成」の墓碑が発見された。真成は安倍仲麿ら共に19歳で遣唐使(717)へ、仲磨と同じく客死した。2004年(平成16年)中国西安で「葛井真成」の墓碑が発見された。真成は安倍仲麿ら共に19歳で遣唐使(717)、仲磨と同じく客死した。葛井一族の氏寺でもあった由縁で、墓碑を母国に一時帰国させ、本尊真数千手観音との再会は、1300余年の歳月が・・・。

 

第6番 南法華寺(壷阪寺)インドデカン高原産の大小千体余りの石像群、圧巻は釈迦の生誕から涅槃の石彫「仏伝図レリーフ」◎浄瑠璃「壷坂観音霊験記」盲人の沢市と妻のお里の話は壷阪寺からは切り離せません。☆インドデカン高原産の大小千体余りの石像群、圧巻は釈迦の生誕から涅槃の「仏伝図レリーフ」でインド人石工師75千人余りの人々の技の結晶です。(写真)

第7番 岡寺(龍蓋寺) 〇日本で初めての「厄除霊場」といわれた古刹。古い言の葉に「きさらぎの初午の日龍蓋寺へもうで侍り」とあり、当時は厄除けの杉の葉を御守りにいただいた。「まほろばの国」は、神が降臨する世界、甘樫丘の丘から畝傍、耳成、天香久山が一望。

 

第8番 長谷寺 僧侶による「午刻の響き」、ホラ貝と尾の上の鐘の音が境内を響き渡る。清少納言も驚きを隠せなかった響き。1千年余りの行が今も続く「こもりくの初瀬」◎朝の勤行に参加します。本堂の板張りからは大きな観音像を拝し、僧侶とともに経を上げます。「我もまた清僧の部也梅の花 一茶」☆僧侶による「午刻の響き」は、ホラ貝と尾の上の鐘の音が境内を響き渡ります。清少納言も驚きを隠せなかったと。1千年余りの行が今も続く「こもりくの初瀬」です。(写真)

 

 

札所番外 法起院 養老2年(718)徳道上人は突然の病に臥し、死の淵で閻魔大王から、西国33所観音霊場の「起請文」と「法印」を授かったのが、西国霊場のはじまり。◎養老2年(718)徳道上人は突然の病に臥し死の淵で閻魔大王から、西国33所観音霊場の「起請文」と「法印」を啓示授かったといいます。その後永延2年(988)花山法皇が摂津中山寺にてこの聖典を探し出すまで石棺に眠っていたといわれます。

 

第9番 興福寺(南円堂) 秋風や囲いもなくて興福寺 子規 藤原氏の氏寺でもある興福寺の一角に南円堂はある。本尊不空羂索観世音菩薩は、札所唯一で経典に「鹿皮」を肩に掛けていると説かれ、神鹿を眷属とする藤原氏の氏神春日明神を完全に意識した形で創建されたのであろう。

第10番 三室戸寺  「象鼻杯」は、境内に咲く蓮の葉をその場で伐採し、直接葉の上に清酒を茎からいただく。ほんのりとした茎の甘味を楽しみながら🔸日本最古の橋の碑が残る宇治橋。『源氏物語』中世から宇治十帖の散策楽しむ人々、最終章宇治の川の水で穢れを流すかのように物語は閉じる。

第11番 上醍醐寺(准胝堂) 平成20年(2008)8月23日午後11時頃、准胝堂は落雷のため全焼した。幸い本尊准胝観音菩薩像は海外にて奇跡的に災いを免れた。(8月27日日経新聞)🔸上醍醐への道のりは厳しい、いまだに湧き出る霊水・醍醐水「ああ醍醐味なるかな」。

第12番 正法寺(岩間寺) 「ぼけ封じ祈願会」は毎年5月、10月の17日。寺伝によると弘法大師空海の直伝の儀式としている。頭に素焼きのお盆(ほうろく)を逆さに載せお灸を焚き心と頭の働きを整えるのだという🔸古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉 芭蕉の俳風確立の聖地とも。

第13番 石山寺 石山寺は巨大な硅灰石と一体化し、秘仏本尊はその頂点の石に座している🔸古より「観音験を見する寺、清水石山長谷のお山」と謳われ平安貴族女性の安産、縁結、福徳、厄除けなど身近なお寺。近江八景「石山の秋月」は源氏(物語)の筆を起こし、歴代天皇の玉座があった。

札所番外 元慶寺 貞観10年(808)桓武天皇の孫にあたる僧正遍昭によって開山された。寛和元年(985)花山天皇は藤原氏の謀略によってこの寺で出家させられる。愛しい弘徽殿女御の死を忘られんがばかリに。だが法皇は嘆きと悲しみの中から得度し、西国巡礼の祖として旅立つのである。

第15番 今熊野観音寺 後白河法皇は熊野権現を勧請して「新那智山」と改め大師の十一面観音を熊野権現の本持仏とした🔸「鳥戸野陵」は、皇族の女御更衣の葬送の地。清少納言が中宮定子の菩提を生涯弔った陵である。「ありつつも雲間にすめる月の輪をいく夜ながめて行きかえるらむ」公任卿

第16番 清水寺 清水寺の不思議は数あれど、暗黒のスポット随求堂の胎内巡りもその一つだ。清水寺の創建にもかかわった坂上田村麻呂征夷大将軍と東北の雄姿「阿弖流為と母禮」の碑は千年の迷走後日の目をみる🔸塔頭の真福寺には七福神ならぬ八福神の「お多福」さまが祀られる。中世よりお多福さまの「ふくさ」は京都女性の密かな想いが。

第17番 六波羅蜜寺 空也上人像は右手に撞木、左手に鹿の角のついた杖を持ち、念仏を唱える姿に六体の化身が「南・無・阿・弥・陀・仏」。(宝物館)🔸年の瀬に行われる「踊踊(ゆやく)念仏」(重・無形民俗文化財)は、時の権力者からの弾圧を逃れるために「モーダナンマイトー」とかえたという。 

第18番 頂法寺(六角堂) 六角堂は京の臍といわれ境内には「礎石跡」が残っている。上京地区道路を挟んだ鐘楼の鐘は町衆の火災や戦火の防備を担っていきた🔸小野妹子は聖徳太子の教えを守り仏前に朝夕献花したことから「華道発祥の地」とされ45代続く家元は僧体で六角堂の住職を受け継ぐ。

 

第19番 行願寺(革堂) 行円上人は出家まえ猟師をし子を孕んでいた牝鹿を射殺した。殺生の罪の重さを悔やみ出家しその鹿の革を纏い革聖人と呼ばれた🔸昭和44年(1967)天台宗で初の女性大僧正が誕生した。中島湛海大僧正である。大僧正は小さな革堂に・・平成18年(2006)遷化された。

第20番 善峯寺 「たらちをの願いをこめし寺なれば我も忘れじ南無薬師仏」徳川五代将軍の生母となった桂昌院(お玉)と父の結実した思いが薬師如来を動かしたのだろうか。人の幸不幸も時の神仏に左右される。「遊龍の松」(樹齢600年以上、全長37㍍) は桂昌院のお手植えと伝えている。

第21番 穴太寺 「安寿恋しやホゥヤホレ、厨子王は恋しやホゥヤホレ」『山椒太夫』森鴎外の作品、山椒太夫のもとから逃げ出した厨子王をかくまったお寺は国分寺、持仏は地蔵菩薩だが、寺には「厨子王の観音像」が伝わっている🔸木造釈迦如来涅槃像は病気平癒として一触されたい。

第22番 総持寺 毎年4月15日「山蔭流庖丁式」が執り行われる。藤原山陰中納言卿は、長谷観音の縁で「童子の仏師」の造作中「千日間手料理」を提供することになった。千日後仏舎には亀の座に立った千手観世音像のみが。料理道の道を説いたものか・・・はては助けた亀の恩返しか。

第23番 勝尾寺 勝尾寺の山門から大鳥居まで三十六町を「勝尾寺旧参道」。日本最古の町石は宝治元年(1247)(国史跡)が自然な形で残され往時を偲ばれる🔸三宝荒神は、日本最古の荒神「屋内の神」「火の神」として祀られる。「厄を祓う」勝ダルマ「己に勝つ事、己の弱さに勝つ」

第24番 中山寺 十一面観世音菩薩は他に類例をみない「勝鬘経」から伝えるインド・勝鬘夫人の自らの姿の像だという。古代インド社会においても女性蔑視の中、女性を救う母性像として誕生した🔸徳道上人が閻魔大王から授かった「法印」は、仲哀天皇の妃大中姫を葬った「石の唐櫃」に。

番外 花山院菩提寺 阿弥陀ヶ峰に法皇が眠る花山院菩提寺がある。法皇は正暦5年(994)この地を終の棲家とした。あの寛和元年(985)の譲位から9年の歳月を巡礼道にみおつくした。麓を尼寺と呼び法皇を慕ってきた11人の女官の面影が残る。「十二尼妃の墓」には弘徽殿の女御の遺髪が。

第25 播州清水寺  播州清水寺と呼ぶ。『今昔物語集』の中に清水寺・地蔵菩薩霊場としての開基伝説を裏付ける古刹🔸西国の平家一門の拠り所の寺としてもも喧伝され、祇園女御が平清盛の武運長久を祈願し建立した多宝塔(跡)、さらに清盛の義母池の禅尼建立した薬師堂・・・。

 第26番 一乗寺  国宝・三重塔承安元年(1171)建立。年代が特定できる国内8番目の塔といわれている。国宝・聖徳太子像、天台高僧像(国立博物館蔵)など、教科書などで見かける寺宝の数々🔸本堂格天井には不思議な模様が見える。江戸時代木札を打つことが納札の意味をしていた。

 第27番 書写山圓教寺 性空上人が文殊菩薩から「この山は霊鷲山の土で出来ている。だから書き写したようによく似ているであろう」山号の由来は、まさに白砂の道🔸「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」 和泉式部が上東門院彰子と「本尊と結縁」に・・・上人いかに。

 第28番 成相寺 日本三景の一つ「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」和泉式部の娘である小式部が詠う🔸成合寺本堂には、たくさんの寺のグッズが販売されている。『つり銭、支払いは各自で』ともう何十年もこうしているのだという。人を信じる教えを実践していると。

 第29番 松尾寺 秘仏馬頭観世音は三面八臂の忿怒座像。馬頭観世音を本尊にしているのは西国では松尾寺のみ。六道の畜生道の衆生を保護する🔸「仏舞」奈良時代から伝わる大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来の仮面を付けた6人が雅楽「越天楽」に合わせて舞う、浄土の荘厳さを。(重文)

 第30番 宝厳寺(竹生島) 平成18年(2006)オーストリア・エッゲンベルク城で「桃山時代大坂城屏風図」が発見され唐門の所在明らかに🔸水の神・芸能の神である弁財天、平家物語「竹生島詣」副将軍平経正は、戦さ中竹生島へ渡り居待の月の琵琶を弾き弁財天感応し白竜が・・。

 第31番 長命寺   天智天皇が狩りに出かけ、老夫婦に無病長寿の果実「ムベの実」を召され「むべなるかな」と仰せられたことから🔸景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五帝に仕えた武内宿禰が、長命寺山にて「寿命長遠諸願成就」を柳の霊木に記し長寿を全うした。武内宿禰御神体「修多羅岩」

 第32番 観音正寺 本尊は平成5年(1993)の火災で焼失。 平成16年開眼された本尊は白檀で造顕、経典に「観音像は白檀にて像形をつくるべし。さればすべての罪障を除減し、一切の不吉祥は吉祥に転ずるなり」🔸境内の巨大石群は古代磐座信仰の象徴。年月を重ねることで語り継がれる。

 第33番 華厳寺 御詠歌は3種3朱印「現在、過去、未来」、御本尊は一体秘仏十一面観世音菩薩。本堂左右の柱に阿吽の「精進落としの鯉」🔸本堂「戒壇巡り」が待つ、暗闇の無間の中の手探りで本尊との結縁を結ぶ。旅の終焉から新たな智慧、身体、精神を授かり俗世へと旅立つかのように。