第1番  杉本寺(杉本観音) 瀟洒な山門を抜けると、苔生した石段。不思議なもので石段と対峙していると、天の風、時の声、人馬の嘶き・・・が🔸「藤原の世の二軀鎌倉の世の一軀相伴れおはす南無観世音」吉野秀雄。十一面観世音菩薩は、行基、慈覚、恵心造顕三体合わせて三尊同殿と。

第2番 岩殿寺(岩殿観音)「源頼朝と七騎落」頼朝は文覚上人の導きによって岩殿寺本尊に帰依した。平家打倒で石橋山で敗戦、房総へ逃れようとする時本尊が船頭の化身となって現れたという🔸 「普門品ひねもす雨の桜かな」泉鏡花 妻すずの陰の力で瓢箪池は今も水鏡のよう。

 

第3番 安養院(田代観音) 鎌倉最古の供養塔「二位政子御法号安養院殿如実妙観大禅定尼」。寺伝では、頼朝の菩提を弔った政子の建立からはじまる。「梛の葉」は政子の守護。🔸良縁を求めて「宝暦2年(1752)7月吉日 江戸八丁堀女中講」の小鐘が。今も昔も良縁にすがる女性の願いが・・・。

第4番 長谷寺(長谷観音) 本尊十一面観世音菩薩は、金色に輝き高さ9.18㍍の巨大さに圧倒される。奈良・長谷寺と同木異体と伝えらている🔸「弁財窟・十六童子」は、巨大な一塊の岩盤の中にある。弘法大師空海が自ら刻んだという石像は、岩盤と一体化し芸術を超えた悠久の世界だ。

第5番 勝福寺(飯泉観音) 天平勝宝6年(754)高僧鑑真和上と共に請来した十一面観世音菩薩像は、幾度かの遭難を回避、上人を守護した。「若葉して御目の雫ぬぐはばや」芭蕉🔸二宮金次郎は、旅の僧から観音経を説かれ「利他に生きる心」を会得した。尊徳の植林した堤の松林が風に揺れる。

第6番 長谷寺(飯山観音)「飯山の隠れ鐘」は名鐘なり「若し病の者此の響を聞て至心に大悲者を持念すればすれば病の癒ゆること流れに物を洗ふ如し」🔸飯山温泉は全国でも有数の強アルカリ泉で(PH11.3)、女性の肌がしっとり滑らかに。飯山温泉芸妓さんの見え隠れする肌は桜色だ。
 

第7番 光明寺(金目観音) 春爛漫金目川から観音堂を望む風景は「平塚八景」に指定されている。一幅の世界と🔸境内に祀られている七福神「長き夜のとおの眠りの皆目覚め波乗り舟の音のよきかな」(回文)正月、この歌を書いて枕の下にして寝ればよい初夢が見られるという。

第8番 星谷寺(星の谷観音) 星谷寺の七不思議多々あれど「撞座一つの梵鐘」は、日本三奇鐘の一つ。撞打が一カ所。嘉禄3年(1227)「相州星谷寺大旦壇那源朝臣信綱」在銘🔸「星の井戸」は、信仰心のある人は昼間でも星が見えたという。寺伝に星にまつわる森閑とした世界がある。

第9番 慈光寺 長い坂道に「青石板碑群」が風雪に耐えている。古碑には弘安7年(1284)と刻まれ、ある僧の生前供養塔も存在するという🔸宝物殿・国宝『法華経一品経』は、広島厳島神社『平家納経』、静岡鉄舟寺『久能寺経』日本三大装飾経の一つ。弘法大師空海「破体心経」必見!

第10番 正法寺(岩殿観音)  巡礼古道山寺に続く一本道。宿屋、鍛冶屋、みそ、醤油と看板だけが並び、耳を澄せば掛け声が聞こえてくるようだ🔸寺の伝説にちなんだ魔除け「スクモリ(小麦のヌカ)の尻あぶり」が7月1日に行われていたという。

第11番 安楽寺(吉見観音)「蒲冠者源範頼旧蹟」と建つ。源範頼は、源頼朝の異母弟で平治の乱後、この寺で稚児僧として育ち、後領主となって「三重塔」など建立した🔸毎年6月18日「厄除朝観音参り」で多くの人々が暁の未明から参拝する。帰路「厄除けだんご」で厄を落とすのだという。

第12番 慈恩寺(慈恩寺観音) 本尊は寛永11年(1634)天海大僧正が比叡山延暦寺から招来し納めた千手観世音菩薩が安置されている🔸昭和17年(1942)南京駐在の日本軍が「玄奘三蔵法師」の遺骨を発掘し、長安の大慈恩寺と因縁があるこの寺に分骨された。三蔵とは皇帝から与えられた位。

第13番 浅草寺(浅草観音) 早朝浅草寺の鐘楼には大勢の人が囲む。僧侶が勢いつけて撞く鐘の音は浅草中に響き渡る「華の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉🔸伝法院と五重塔「朝がゆ会」への儀式に参加した。食後、朝日に輝く回遊式園庭の池面から五重塔が映しだされた世界は、中世の絵画模様か。

第14番 弘明寺(弘明寺観音)  本尊十一面観世音菩薩像は、天平9年(737)行基菩薩が刻んだ「鉈彫」の様相をあらわす。光が微妙に反射する姿に、安永元年(1772)木喰上人は感涙し「微笑仏」が誕生した🔸浜っ子の人たちの参詣が絶えない日常の世界は「煙り出し」から漂う誘い香の煙!

第15番 長谷寺(白岩観音)  上州は今も昔も「かかあ天下」と。明治の廃仏毀釈運動でこの寺は壊滅的な被害にあった。地元の信心深い女性たち力で寺は護られたと。「ああらあらら・・さても危し亭主の身」🔸烏枢沙摩明王を祀る。あらゆる汚れを焼き尽くす、特に不浄な場所を清める。

 

第16番 水澤寺(水澤観音)  「五徳の水屋」は、五体のあらゆるものを清めんとする水が山門にあふれ出ている。山門から入山を!🔸伊香保温泉は、古より「観音の方便の出で湯」といわれている名湯。名物「水澤うどん」は五徳の水から生成される。「うどんは水が命」と。

第17番 満願寺(出流観音)  御前立千手観世音菩薩像は、浅草寺が関東大震災で本堂の倒壊した棟木から誕生した🔸往事10万石の格式を持つ寺は「出流山役所」という扁額があり、寺侍が十数名常時待機していたという🔸名物・出流そば『そんな小さな笊じゃ、もっと大きな・・・』と。

第18番 中禅寺(立木観音) 元本堂は「日光二荒山神社中宮祠」付近にあったが、明治35年(1902)山津波で破壊、流された🔸 勝道上人銅像「沙門勝道山水を歴玄珠を蛍く」空海。「気はながく勤めはかたく色うすく食ほそうして心ひろかれ」勝道上人。 船禅頂開山以来1200年の古儀

第19番 大谷寺(大谷観音)  本尊(磨崖仏)石心塑像といわれ、岩壁に仏像を荒削りして、その上に粘土で形を整え漆や金箔を押した。阿弥陀三尊、薬師三尊、釈迦三尊の塑像は遠近法で技巧されている🔸昭和37年(1962)摩崖仏の真下から1万1千年前(縄文時代)人骨が複数発見された。

第20番 西明寺(益子観音)  「三重塔」天文7年(1538)西明寺城主益子家建立と年代特定できる関東の古塔。(国重文)🔸西明寺の椎林叢は、毎年5月になると枝先に白い花を付け芳香が漂うという🔸お気に入りの一品益子焼を探そう!「陶器市」春4/29~5/5 秋11/3~11

第21番 日輪寺 バス停「蛇穴」から徒歩2時間。大同2年(810)弘法大師が二体の観音菩薩像刻み「日輪寺」と「月輪寺」の二寺を建立したが月輪寺の跡は定かではない🔸大子・浅川付近には八溝山遥拝所「八溝知らずの偽坂東」。 花紅葉よこたてにして山姫の錦織りなす袋田の滝 西行            

第22番 佐竹寺(北向観音) 本堂は天文15年(1546)佐竹城の鬼門として建立、北向観音として本尊は北向きに安置されている。関ケ原後水戸徳川家によって、本堂内陣の床を取り除かれ土間式に変えられたという🔸水戸八景に「太田の落雁」「山寺の晩鐘」が風情をもたらす。

第23番 正福寺(佐白観音) 観世音寺は廃仏毀釈によって、壊滅的な被害を受けた。先代住職天津忠興師によって再興を果たし忠興師遷化後天津蓮照師は平成24年(2012)寺号を旧に復して「正福寺」とした🔸昭和60年(1985)8.2日航機事故で43 歳の命を落とした「坂本九ちゃん」の御寺。

第24番 楽法寺(雨引観音)  日本二大鬼祭「マダラ鬼神祭」マダラとはインドの魔多羅神で補陀洛浄土の守護神。白馬にまたがる鬼神・マダラ神が舞い、破魔矢を放つ。(毎年4月第2日曜)🔸本尊延命観世音菩薩は、安産・子育ての霊験あり、多くのご婦人が腹帯を求める。

第25番 大御堂  日本の道の百選「筑波六丁」北条から神郡、臼井へと続く道を歩く🔸筑波山はイザナギ(千手観音)、イザナミ(十一面観音)が神仏習合として祀られ、これらが一つの仏の姿に大御堂十一面千手観音が崇められたという。

筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院      

第26番 清瀧寺(清瀧観音)  本堂は昭和44年(1969)12月5日白昼の出火で本尊、堂宇悉く焼失した🔸本尊聖観世音菩薩像は、23番正福寺故天津忠興師による寄進である🔸小野地区の人々は「坂東一カ寺欠いてもまかりならん・・」と半世紀以上諸々の社務をこなす。師の心を突き動かしたのか。

第27番 圓福寺(飯沼観音) 「子守電車」を救え!銚子電鉄は銚子駅から外川駅までの6.4㌔経営危機にあるという。駅では銚子名物「ぬれ煎餅」を販売している🔸「飯沼の観音さま」として親しまれ、平成21年(2009)5月落慶の五重塔は総檜造り「ほととぎす銚子は国のとっぱづれ」古帳庵

第27番 奥ノ院 満願寺 本尊は、圓福寺のうつしの尊像十一面観世音を安置する。「じゅんれいのてら」として西国、坂東、秩父、四国の霊場の本尊を勧請し奉安している🔸「巡礼の寺」として、日本各地の霊場巡りを推薦している。本殿は観音菩薩の補陀洛山のような地形や伽藍が広がる。

第28番 龍正院(滑河観音)  御詠歌に「朝日ヶ淵」から見渡す利根川には「木下河岸」の古名が。中世東国三社詣(香取・鹿島・息栖)が賑わい旅人の足にもなった🔸仁王門は「火伏の仁王」の異名をもつ。正月地元の人々によって注連縄を糾う。注連縄は龍正院の龍を、蔦は滑川山の山を表わしている。

第29番 千葉寺  昭和51年(1976)奈良時代後期の「布目瓦」が境内から出土、七堂伽藍の巨大な寺院の証と。千葉寺縁起には「行基菩薩が、池の中に茎一本に花二つ開き千葉の青蓮華あり其の花の中に阿弥陀如来、観音大士の二尊並びまして説法し給ふ」と🔸「梅竹透釣燈籠」昭和49年(1974)年賀切手。

第30番 高蔵寺(高倉観音) 御詠歌「あさば」の「阿娑婆」は、昔この地方土地根付いていた大樹林を指す。また阿は如来部、娑は蓮華部、婆は金剛部を指し胎蔵界諸尊の一切の真言を修法で表わす🔸藤原鎌足の「縁結び」「子育て」観音さまとして知られ、地下空間から本尊の足下を拝する。

第31番 笠森寺(笠森観音) 本堂は文禄年間(1592~95)再建。大悲閣「四方懸造」高さ30㍍の岩盤の上に、楠の柱の61本が天を衝く(国重文)🔸「日蓮上人の参籠の間」は、墨田五郎時光との対面時の「板の間」が保存されている。

「五月雨やこの笠森にさしもぐさ」 芭蕉

第32番 清水寺(清水観音)  「平景清こと悪七兵衛」の身代わり像が眠っている。大絵馬「鵺退治」「錣引き」は、屋島合戦で源氏方の武将と一騎打ちの戦いで生まれた🔸一説には房総の「駆け込み寺」「信仰心の篤い女性の寺」と。房総一美女と喧伝された本尊の白毫は水晶。

第33番 那古寺(那古観音) 平成17年(2005)3月本堂大改修の際、奈良時代の「観音経写経」が完全な形で発見された。日本最古の写経は唐招提寺だが、完全な形ではないと🔸 源頼朝と主従七騎の房州猟島上陸地。「結願の証」証書には「巡拝畢」と墨書。結願の湯館山不老山薬師温泉